昨日は降雪ですっかり予定を変更して、DVDを借りてきて地獄の黙示録を観ました。
昔にもTVで見た記憶があり、嫌悪すべくほどの反戦争、リアリティがあり凄まじい迫力の映像、音楽と特徴的なシーンは印象に残っていましたが、今あらためて見ると考えることがいろいろとありますね。
戦争という極限の状況下で露出する人間の狂気、ってことが前面に押し出されていて、この戦争においては祖国や領土などの守る意義のない戦い、個人個人の意志とは関係のない流れの中での生存のための戦い、あがなうことの出来ない虚無感に苛まわされてしまいます。
かといって、個人の意志を捨てて大局に目をつぶり、全てを戦争のせいにして、狂気にしたがってやりたい放題してもいいのか、ということも感じます。
大佐と大尉との関係でいえば正義も悪もありませんし、不協和、ということが強く残りました。
さて、一夜たって今日は真っ白い雪に包まれた朝を迎えました。
道ももちろん積雪で、車が通る部分のわずかな部分しか路面は露出していません。
そこを一台の自転車を押した中年女性が通りました。轍ならばゆっくりなら乗れるのだろうと思っていたのか、しかし思い通りにならず押して足元を確かめながら歩いています。
その後には、車列がゆっくりと追従しています。直後は女性のドライバーです。轍以外は滑って危ない、そんな感じで追い越す事もできずにただゆっくりと追従しています。さらにその後には、チェーンを巻いたトラックなど数台が多分イライラしているのでしょう、エンジンふかし気味に連なっています。
しかし、自転車の女性は止まることも、雪の積もった歩道に避けて、車を先行させることもしません。まるで私は悪くない、悪いのは雪のせいよ、といわんばかりでした。
片側1車線の決して狭くはない道で、対向車も来ますから、車は結局追い越すことも出来ずにそのまま数百m、視界に消えるまでそのままでした。
そこで思い出されたのが、映画の中の戦争と狂気。
積雪はそこまでの極限状況ではないので、狂気と言うまでの行動では決してありませんが、状況のせいにして自分のやりたいように行動するさまは、どこか重なりました。少しでも協和して、1,2歩を雪上に運べばいいものを、悪いのは雪のせいばかりとするのは、どうかなと。
これは雪だけでなく、現代社会においても、自分自身でも、似た節があるかもしれません。
自分自身のことは棚に上げておいて、すべては社会のせい、会社のせい、国のせい、私が悪いのはアイツのせい、としているかもしれません。
生活が楽にならないのは国のせい、解雇されるのは会社のせい、就職できないのは社会のせい、自分自身はそこで協和したのか、協和する努力をしたのかどうか、不協和を奏でる方ではないのか、そこを問わずして、全てを状況のせいにするほどの極限状態ではないでしょうに。
もっともその女性にも歩を外せない重大な理由があったのかもしれません。
他人の失敗や不出来、不適切な行動を、いちいちあげつらうことも、不協和、なのかも、とも思いますので、あくまでも、自分が感じて思ったことで、自分自身はどうであろうか、と考えなおしてみたいと思った次第です。
ともあれ、自分は気分転換としてアクションなどの娯楽映画しかみないのですが、今後もたまにメッセージ色の強い映画を観て様々なことを考えてみたいな~と思いました。