宮城県石巻市へ行ってきました。
実務詳細はご一緒された方々のこちらのブログを参照頂けましたら幸いです。
http://ameblo.jp/tohoku-climber/entry-10857634133.html
http://specialized-concept.jp/staffblog/?p=2135
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絶望 喪失 無力 後悔
この光景を見て、あの日から1ヶ月が経った今なお広がるこのあまりにも厳しい現実を見た瞬間、
絶望感が自分にも押し寄せてきました。
言葉もありませんでした。
この、とてつもなく大きな被害、命が、街が、生活が、家が、車が、家財が、職場が、仕事が、何もかもを失ってしまった喪失感も強く湧きでてきました。
あまりにも過酷な現実を前に、自分に何が出来るのであろうか、いえ、何も出来ない、という無力感に支配されました。
来るのではなかった、そんな後悔もしました。
ここにこなければ、自分の出来ることをやる、というだけで、少しでも力になる、なれているという充足感を持ち続けることが出来たでしょうが、ここにはそんな小さなことを打ち砕く、重い現実が横たわっていたのでした。
自分が住む場所で、箱の中の絵から見た景色では、実際の立体感、奥行きがわからない。
映像と現実のギャップに打ちのめされた第一印象でした。
そんな現実の中、多くの力もまた感じました。
大規模な支援活動を展開中の自衛隊が真っ先に目に飛び込んできました。
今やらずしてなんとする、というような緊迫した雰囲気のなか、日の出から日の入りまで、あらゆる範囲で活動されていました。被害家屋や車など大掛かりな撤去作業、避難所などでの暖かい食事の提供、そして生活に欠かすことの出来ない給水、などなどその持てる力を駆使して、多くの人が多くの人のために活動されていました。安全に、安心して暮らせるように。
さらに、ボランティアの人たち。
それぞれがそれぞれの出来ることを持ち寄り、医療に従事する方は実際の医療行為やメンタルサポート、自衛隊と役割分担をしたような細かな撤去や清掃活動、物資の仕分けや生活にまつわる様々な給仕、こころのこもった音楽演奏などのパフォーマンス、それそれは多岐に渡る活動がされていました。気持ちに少しでも余裕と明るさを取り戻してもらえるように。
人を助けているのは人でした。
その人に必要な支援物資も、多くの物が揃っているようでした。知り合いの歯医者さんたちは初期の段階で20、000本の歯ブラシを送ったそうですし、生活に関わる細かなものも概ね行き渡っているようです。
実際に、泥などの積み上がった目前の校庭にも、多くのボランティアの作業の甲斐あり、今度仮設住宅が建てられるであろう平らな空間がそこに生まれたのでした。
つらい現実の中、人の力がその状況を打破していることに、希望を見つけることが出来ました。
そして、今回の自分たちの活動に、参加してくださった地元宮城県のサイクリストの皆さんの、前向きな言動にもまた大きな力を感じました。津波被害はなかったとしても、大きな地震による被害、そして今なお続く大きな余震、断水など生活の不便さ、そういった当事者の方々であるのに、それでもなお、出来ることをやりたい、やる、ということで参加してくれました。
水は出ないけどね、ここに比べたらそんなの問題じゃないよ、と。
むしろ帰りにどこの温泉に入っていこうか、と前向きに明るく消化されている姿に打たれるものがありました。
そんな力を得て、自分たちも、自分たちに出来ることを、開始しました。
希望と明るさを持って。
サイクリストによる自転車を通した復興支援を掲げて、それに沿った活動を行っていきます。
その第一弾として今回は、自転車のパンク修理とその防止をメインにしました。生活の交通手段として多用されていると聞く自転車は、路面に散乱した釘や金属片などで、パンクを始めとして走行不能に陥っているとのこともあり、この対策を第一に展開しました。
また、味と香りを楽しんでもらうことで、束の間でも心にゆとりを感じてもらえたなら、と多くのサイクリストが好む淹れたての美味しい珈琲の提供も同時に行いました。
避難所生活の中にも香りを楽しまれた方もおられましたし、外国のボランティアの方(とても多かったです)にはcoffeeで疲れを癒してもらえました。
実際の活動の中では多くのことがありましたが、支援活動として提供された自転車のパンク防止策、復興活動に用いられている手押し車やリアカーなどの、側面支援という修理が多くなりました。
初期の段階では、移動手段の車の燃料が入手困難だったり、道路そのものに自転車程度しか通れる隙間しなかなったのでしょう。現在は1ヶ月という時間の甚大な努力により、車が通れるほどに道路が回復して車にシフトできたということが、被災者利用の少なさの要因だと思われます。
また、避難所におられる方にいては、そこに水が物資が届くので、外に出て入手のため移動しなくて良いという側面もあるでしょう。そして外に出れば厳しい現実を目の当たりにしてしまうし、そして帰るところもないということから、とても自転車に乗って外に出る、という状況にはないようです。
さらに自宅避難、待機の方においては、給水所や炊き出しの場所まで自転車利用があるようですが、そういった方に修理を提供することが難しかったこともあります。事前情報の周知や場所などの問題、そして少なからず自転車修理でも、この地で生計を立てている方もおられるという事実です。支援活動がその地の生きる力を奪ってしまってはいけないのです。
現段階で必要とされていたことを、今回の活動の中で言えば、直接的復興活動への支援、だと言えます。
被災者と、その方の属する被災自治体、被災企業を始めとして、自衛隊、ボランティアなどの復興に従事する人に必要な側面、後方支援が必要だと思われます。前述、手押し車やリアカーなどの修理がこれに当たります。
被災者との交流はそうった意味でも極めて狭い範囲でしか取ることが出来ませんでした。
2箇所の避難所を見た限りでも、その格差が非常に大きく、物資の炊き出しの充実度もさることながら、とりわけそこに集う人々の表情やその雰囲気がとても違いました。
被災の度合いに応じてその在り様が人其々となる中で、比較的軽微で前向きな人は復興に向け活動的なコミュニティに属して、重度の方は塞ぎこんでしまい沈痛な静けさの中で過ごすことになっているかのようです。
活動的な方々は笑いや明るさを求めていますが、そうでない方々には何をもって応えたらいいのか、自分だけでは皆目見当もつきませんし、そのための能力も持ち合わせていません。
そのような格差をも生み出し、場所、局面に加え、その方々それぞれにおいても必要とされることも違うとなれば、支援もまた千差万別に及ぶべきであろうことは想像に難しくありません。
ゆえに国や自治体という大きな単位から出来ることは、個々に細かく行き渡りづらいでしょう。ゆえに個々人の出来ることと、という小さな活動がマッチすることがあり得るのです。小さな個人の活動が、小さな個人に大きな貢献が出来ることもあるはずです。
そして、刻々と移り変わる局面、時の流れにおいて必要とされることは変わっていけど、復興までの長い時間、その活動を止めてしまわないことが重要です。持続こそ力、継続こそ力なりです。
それぞれが、それぞれの出来ることを、それぞれの方に向けて、長い時の間行い続ける
それが生き残ったもの、何を逃れたものの1ヶ月より先の行動になるはずです。
行動から感じる希望の光
想いや祈りからだけでは決して発せられることのない現実の力
行動から希望も感じ得れば、現実も良くなっていくでしょう。
ただし今回は、あまりにも広大な範囲に震災、復興の必要性が及んでいます。
この広大な範囲を満たす行動と希望は、ぜひ国という大きな単位でそれを示して欲しいと思っています。
希望を感じさせる行動を、国には切に望みます。
絶望 喪失 無力 後悔
これらの思いは、一日そこで活動し帰るときには
人 活動 持続 希望
という思いに変わりました。
今回得たことは、何かをすれば、何かを支援出来るということです。
パンクを直せば、パンクを防げば、その方の生活の一助になれます、
手押し車、リアカーを直せば復興活動の一助になれます、
珈琲を注げば、行動の活力の一助になれます。
何も出来ないという事はないと思います。
被災者への支援、復興活動に従事する方への支援、その支援をする人への支援と、何かが何かにきっと繋がるはずです。無駄な行動はないと思います。
それがどこかの誰かに繋がっていくという、想像力をもった行動で良いと思います。
支援金や義援金への募金はもちろんのこと、被災企業や被災自治体関連品の購入や消費、経済活動から国への消費税など各種納税、などなどお金という側面もありでしょう。
それは長きにわたります、あの惨状は一長一短ではけして回復はしません、いえ、永遠と思われる時間が必要かもしれません。
ですから行動を持続することが必要ですし、あるいは、今でなくても、この先、いつでも、出来る時に行動すればいいのです。
焦らず一歩、一歩、一漕ぎ、一漕ぎ、コツコツと、果てしのない先のゴールを目指して長い時間、進んでいきたいと思いました。
LSD Long Slow Distance
時と、場所と、方法を変えて、今後も行動していきたいと思います。
どうかサイクリストの皆さん、ご一緒ください。