2013年10月24日木曜日

2013 Ironman World Championship レポート「Anything is possible」

昨年に続き挑む世界最高峰のIRONMAN World Championship、結果は得意のバイクでのアクシデントにより、タイム的には満足の行くものではありませんが、逆境を乗り越えてフィニッシュできたことは、IRONMANスピリッツである「Anything is possible」と符合し、個人的には満足のいくものでした。 


さて、その熱いレースの日から早くも10日が経ち、多くの写真を現地に観戦&応援に来ていた皆さまから頂いたので、それを見ながらレースを振り返ってみます。


スタート前にボディマーキングを行います。
今年は、タトゥーシールでのナンバリングは世界初かも、シマノのスポンサーによりかっこ良くなってます!

今年はエイジがひとつ上、来年は同じエイジになる白戸太郎さんとレース前気合の記念撮影、昨年はレース中に追いかけっこしたので今年も!と気勢を上げました。


レースは沖合からのフローティングスタートで始まります。
自分は桟橋に掴まってスタートの号砲を待っていました。

スイムはスタートからスイムアップするまで、終始人の流れに乗っていけました。
バトル、というほどの激しい位置取りに加わるほどの泳力はありませんが、前にも後ろにも多くの人がいて常に追い抜き、追い越しを繰り返していきます。
昨年は1時間27分で、折り返してからは女性アスリートばかりで、T1ではほとんどバイクがない、と言う状況でしたが、今年は1時間17分、周りには男性アスリートがワシワシと泳いでいて、その流れに無理なく乗れていました。
前の人を追い越そうとたまにペースを上げると、微妙に方向がずれてしまい、あさっての方向に泳いでしまうこともありましたが、ヘッドアップもそれなりにしていたので、大きなタイムロスにはならずに、比較的淡々と進んでいけました。


スイムアップしてT1に戻るとバイクはまだ沢山残っています。これはイケる!なんて思いつつ、エリアを駆けて行きました。
ゴーグルから水が侵入していて、目が海水に浸かっていたのでシバシバしてこの時は目が開きませんでした。

そして快調にトランジットを完了して、得意のバイクへと意気揚々と漕ぎだしていきました。

ここまで順調で、良い一日になるはずでした。



それから僅か数分、まさかのアクシデントが起こりました。

コナの海を背景にハイウェイの写真、ヤシの木の下に移るのは、なんとバイクを担いだ自分です!

T1から最初のループのハイウエイ”クィーンK”を快調に追い越し車線を前走者を追い越し、追い越し、ガンガン前に出ていきました。
速度差があるので、何人も一気に抜いていきます。その時、アクシデントが起こりました。

ゆるい上り返しになり、こちらは高速を維持して左側を進行、右側の一群が上りで減速、一番右の人を抜くために、左に、さらにその人を抜くために左に、と遅い選手が道幅一杯に広がってきたのです。
波状的に広がるそれは自分の追い越し車線にもおよび、DHバーを持っていた自分は減速することも出来ずに、後方確認をしないでこちらのレーンに侵入してきたバイクの後輪に突っ込んでしまったのです。



その結果、フロントホイールのスポークが2本折れて走行不能に陥りました。
つい思わず「チクショー!!!」と叫んでしまいました。

せっかく調子良かったのになんでこんな目に。
パーソナルベストに挑むためにここまで来たのに。
これでは全くだめだとあきらめモードになってしまいました。

ここで止めてしまおうか、とも正直、リタイアを考えました。
どうする?なにをする?自問自答を繰り返しました。

「何しにコナまで来たのか?」

もちろん記録は大事です、なんの目標もなくて払える努力なんてありませんから。
しかし、記録はフィニッシュしてこそ残るもの。
フィニッシュしなければ、何も残りません。ここに来た意味もありません。

そしてその答えは「是が非でもフィニッシュしてやる!」という決意が湧き上がりました。
タイムは大事ですが、フィニッシュしてこそ、やり遂げることが先ずは最も大事なのですから。

「この条件ではどうすれば最善か?」という課題に挑むこと、それがこの段階からの目標となりました。

最初は前輪を持ち上げ押して、次に前輪を外して担ぎ、さらにはシューズを脱いで前に進みました。
自分が今やれる最善を探して、前に進んだのでした。


そして甲斐があり、前輪をゲット!
1kmくらい押して、担いで歩き、メイン会場近くまでスタートループを進み、コース整理をしていたボランティアに事情を説明、メカニックサービスを探してもらいました。
よし、待ってろ!という威勢の良さで、直ぐ様探してくれました。


そして、待つこと数分、オフィシャルメカニックが来て、スペアホイールを用意してくれました。
シマノアルテグラ、悪くないホイールです。リムハイトの高いエアロではなく、ノーマルリムでしたが、走れるだけでも、十分に幸せです。


20分のタイムロスの果てにレースに復帰!

体はひざ下と腰の打撲、両手の親指の突き指、擦過傷少々、とバイクに乗るには影響は軽微でしたので、ここからどこまで追い上げられるかへの、挑戦です。


ここからかなり上げていきました!
スタート間もなくのアクシデントからリカバリし、コースを突き進みます。
今年は風は弱く、ガンガン追い抜いていきます。
転倒でステム取り付けが曲がり、僅かにエアロバーが体に対して斜めになっていましたが、気にせずそのまま進みました。



打撲部に負担は多少かかりましたが、気合の追い上げで平地、上り、下り、全てにおいて前走者をひたすら追い越していくだけです。








日本応援団の声援もありがたかったです!
全然こないのでどうしたんだ?前輪があれ?なんて思われたと思いますが、応援はたいがい速度の落ちる上り区間でしてもらえるので、そこをガンガン走って健在をアピール。

上り区間で速度が落ちた時には、立って漕ぐと体全体のリラックスと動的ストレッチで、長時間エアロフォームでいるストレスをかなり和らげてくれます。
自分は20km以下の場合は積極的に、ストレス分散のためにダンシングを入れています。


同じ区間の折り返しです。






逆に速度の乗るところでは、積極的に体を低く保ち、重いギアを掛けてバイクを安定させつつ、高速を維持します。

でも力んでガチガチに体を固めないようには注意しています。
各所がぶれないようコントロール=安定、
各所を動かないように力を入れ続ける=固定、
と安定と安定では意味合いが違いまして、瞬間最大ではペダルにかける力が多大なので体を固定することが必要ですが、長時間の持久ではそこまで高い力はかけていないので安定を保つようにします。



このとおり腕はサムアップできるくらい余裕ですね(笑

目線は前を見つつ、首をぐいっと上げて頭が高くならないように、眼球の動き、視線で前を見てなるべく頭は低い位置を保ちます。




傍から客観的に見て、良い感じに乗っていますね。

しかし、フロントホイールに違和感を覚えます(苦笑
実際に、足を止めるとアッという間に減速しますし、高速の維持がとても大変な感じがしました。
エアロホイール、35~40km/hでは60mmハイトの効果は絶大ですし、30~35km/hでは40mmでもかなり感じます。



見渡す限り真っ直ぐ直線路で前走者が居ないことが確認できている場合は、頭を下げて、さらに空気抵抗を減らすこともしています。

国内では地形と密集度によりほぼありえないかもしれませんが、海外のレース、とくにトップ選手たちはそうしていることでしょう。


バイクはこの後の復路で、取り付けが曲がったエアロバーによって体がバイクに対して左右差がでてしまいいつもにはない腰の張っりがかなりきました。
そのため復路クイーンKでは向かい風が強くなってきたのですが、POWERを高くかけることが出来ず、かなり失速をしてしまいました。

それでもフィニッシュを目指すには上出来のタイムでバイクを終えることが出来ました。

ロスタイムを除けば、昨年よりも速いくらいですので、今年はいかに風の影響が少なかったかということがわかります。


T2でバイクを降りると、その腰の張りも和らぎ、ランの走り出しは快調に感じました。

この通り沿道の知人を見つけ、笑顔で答える余裕たっぷりです。

実際に最初はキロ5分を楽々下回り、オーバーペースに気をつければいいね、と体にも心にも余裕がありました。

記録を狙わない(今回は狙えないといったほうがいいのですが)レースの場合は、リラックスして会場との一体感を味わえてとても良い感じです。

将来的に、記録の向上が狙えなくなったとしても、この雰囲気を味わうためにも出場したいと思いました。


さて、快調に思えたランもアクシデントの影響が出始めました。

10km走ったとことで、打撲部が腫れてきたのでしょう、カチカチになり着地の痛みをもろに受けるようになりました。

イテテ、とそこをかばって左右アンバランスになってしまいました。





アリードライブ往復を終え、16㎞地点に待ち構える激坂上りではアンバランスな走りの代償か、股関節周りも痛くなってきました。
それは右、左、とさまざまな箇所まで転移してしまい、満身創痍な様相に陥りました。



そこからランは苦痛との戦いでした。
ペースはガタッと落ちてしまい、歩きたい、いや歩かない、のせめぎ合いです。

25㎞を過ぎていよいよ走れなくなりそうになり、なんとかエイドにたどり着いて、こりゃ歩くか、リタイアだな、と考えつつ、ふと氷に目が行きました。

さっきまでは熱中症予防で頭と首筋を冷やしていましたが、これを臀部と脚にかけたら冷やして痛みを麻痺させれば走れるはず、と。

受け取る氷をおもむろにパンツの中にどどっと突っ込みました。
う、っと思うくらい冷たく、しかし、走りだすと痛みはかなり和らぎます!
解け出した水が下腿も冷やしていい感じに。

これなら走れる!
と、その直後はペースがまた上がります。

しかし正に”焼け石に水”、溶けてしまうとまた痛みに支配されてしまいます。

エイドで氷をいれる、冷えているうちはペースアップ、溶けたら歩きたい気持ちとの戦い、そうこうして約1マイル毎にある次のエイドに辿り着き氷を補充、を繰り返して前に進み続けました。

氷で下半身を冷やしつづけていたので、トイレに度々いきたくなるという副作用はありましたが、なんとかエナジーラボを折り返し、最後のクィーンKに戻ってきたのです。






何度も止めてしまおうか、歩いてしまおうか、と自問自答を繰り返しましたが、
記録とは別に、自分に負ける気がして、それだけは嫌だと、都度都度踏ん張り続けました。

そして、クイーンKを走りきりました、
そうこの笑顔が、達成感、満足感、充実感を表していますね!


そこからは痛みはあっても、足取りは軽く、気持ちは晴れ晴れ、世界最高の応援、盛り上がりのまつゴールのストレートに向かいます。

 

人で埋め尽くされたアリードライブでは左右両方の人たちと歓喜のハイタッチをゴールまでずっと続けました。

記録は結果、結果を出すためには過程を辿らなければ、その過程は好条件だけであるはずでなく、与えられた条件を如何に克服していけるか、を試され、そしてやり遂げたのです。

好条件が揃えば好記録は当然、悪条件で過程を乗り越えフィニッシュできたのは、自分にとって同じくらいの達成感なのでした。



コナでのフィニッシュは昨年に続き2回め、IRONMANになったのは5回めです。

記録の日進月歩はなかなか難しいものですが、進み続けることは日々、諦めなければ出来るものです。


IRONMANスピリッツである「Anything is possible」を図らずも、身を持って体感した今回のコナ。

世界中からここに集まるアスリート、ここを目指すアスリートは誰しも日々、好条件とはいえない過程を乗り越るべく、前に進み続ける人たちなのです。

ゆえに最高にエネルギッシュで、相互に尊敬し合える人達だけが集まり、ここにしかないムードを醸し出しているのだと、身を持って理解しました。

来年も、この場でそれに恥じないレースがしたい、次は自分自身の条件を日々のトレーニングできちんと揃えてレースがしたいと決意をあらたに、今はしばしの休息の迎えています。